人間関係

争いから学ぶこと。

aloha :uuuum:
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一部ではまだ閲覧出来ない方もいらしゃるようです。
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その言葉を私は信じてます :smile2: 皆さんどうかもうしばらく安定するまでお付き合いくださいね。

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言葉って難しい :ooo: ここ数日、改めて言葉の重さ難しさを考えさせられています。
言葉は人を傷つけるから言葉を選べとか言葉はむしろ刃物よりも怖いなんてこという人がいます。
かくいう私もそう思っていたし言葉を選ぶこと言葉を配ることに気を取られていたような気がします。

あるとき、とても信頼している方から私の人格すら否定されるような言葉を浴びせられました。
本人には当然そんな自覚はないでしょうし、悪意もありません。
とても言葉を選ぶ方だから言葉をすごく選んできっと私のためを思って言ってくださったことなのでしょうが、幼い頃からそのこととひたすら向き合って来た私にとってその言葉はただただ、涙がこぼれるだけでした。
その人がそういうなら間違いなくそうなのだろうと思いました。
あの時は、いや今日までは...そう思っていました。

夕方ごろ、少しだけうたた寝をしたら、ふと不思議な夢を見ました。
夢の中で不思議な言葉を耳にし夢うつつのまま忘れないようにその言葉を書いたのですが、そこに書かれていた言葉がとても興味深かったので私なりに解釈してご紹介しますね。

言葉が人を傷つける、はたしてそれは誠か。
言葉の語源の元を辿ると言葉の”は”(葉)の部分は、物事の本質から出た先端の意味。

刃(やいば)の言葉を例えにするなら、ヤイバの「ハ」も刃物の先端の部分のことであり、これを木の葉に置き換えても同じく「葉」とは幹や枝から出た先端の部分のことをいう。
あくまでも物事の本質(本体)があってこその先端。

これと考え方を同じとするならば言葉も同じに置き換えられる。
言葉の本体はその言葉を繰り出す”話し手の心”でしかない。
すなわち心が悪に傾けば、言葉も悪くなるし、心を善として使うなら言葉も良くなる。

言葉が人を傷つけるのではなく、本髄はもっともっと奥の方にある。
つまりは人の心が人を傷つける。
己を磨けよ腐るな笑え…..。
最後の意味がイマイチわかりませんが(笑)

言葉が人を傷つけるのではなくて、人の心に刃が潜んだ時、人の心が人を傷つけるのかもしれない。

私にも言いたいことがあるけど今のあなたにそれを言ってもわからない。
だから私はあえてそれを言わないから今回は「痛み分け」にしましょう。
あるとき、そう言われた事もあります。

         

「痛み分け」って普通は争いごとをした結果、双方が相応(同じだけの)痛手を被っただけで結局決着がつかなかった時に使われる言葉と一般的には言われています。
だからこのシチュエーションでの「痛み分けは」普通といえば普通です。

ところがこの言葉の語源は別の意味でも使われるということはあまり知られていません。

日本の国技、相撲はどれだけ勝負が長引こうが、どちらかが勝つか負けるか勝敗が決まるまで行います。
同体ならば取り直しをして、勝負が長引き双方に疲れが見えた場合は水入り。
こんな決まりごとを繰り返し、勝負は決着がつくまでとことん続きます。

ところがそのような勝ち負けキッパリ!の相撲においても、稀に「引き分け」のケースがあるのですが、2人の力士が、土俵の外に出てしまったり、足の裏以外の部分が土俵に付くのが同時であってなかなか勝敗が付かない。
それでも何度も取り直しにをするものの、続けていくうちにとうとう片方の力士が負傷してしまい、やむなく取り組みの継続ができなくなった場合には「引き分け」もあり得るのですが、この時、あるお作法があるのをご存知ですか?

審判団が協議をし、やはり続行不可能と判断した時には、負傷した相手方の力士に対して、お伺いを立てるんですよ。
このお伺いが素敵でしょ(笑)お伺いを立てられた力士(怪我をしていない方の力士)が「お相手が負傷しているのだから辞めましょう」と言えばここでやっと勝負は引き分けとなります。

しかし、「そんなの駄目だ!!」と言ったらその力士は「不戦勝」になるのだそうです。

つまり引き分けを選ぶ理由はその力士の負傷と無念の痛みを分かち合うということです。
だからあなたにも言いたいことがあるでしょうけど、私だって我慢している、つまりお互い「痛み分け」は本当の痛みわけではないのです。
お伺いを立てられて、「辞めましょう」と言わなければ痛みは分けられないのです。
本当の「痛み分け」はとても深い言葉なのですね。

野球の引き分けと違って相撲の痛み分けとは、勝敗に拘らない深い精神的なものがこの「痛み分け」という言葉に込められているようなそんな気がします。

言葉の使い方一つで人を傷つけることも出来るのでしょうが、本当はそんな上っ面なことではないんですね。
心が人を傷つけるんですね。

毎日が勉強の日々です :nageyari:
人の心は陰陽☯表裏一体なり。

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mahalo :maru:

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POSTED COMMENT

  1. あやぽん より:

    初めまして!いつも楽しく、興味深く拝見させていただいてます。
    特に今日のお話は身につまされる思いがして、思わず初コメしてしまいました。
    私は整体師として、とあるリラクゼーションサロンで働いているのですが、そこでの人間関係にとても悩まされています。整体のお仕事をする人は比較的穏やかな方が多いのですが、中にはそうでない方もいらっしゃるわけで。。。。。(言い方が悪いですが)小姑みたいにうるさい人がいて、まだ新参者の私がターゲットにされている状態なのです。私もそれなりの年齢なので、それなりの社会経験もしてますから、多少の事ではへこたれないのですが、この人の言葉にはどうにもこうにも対処の仕様がなくて仕事帰りに泣きながら電車に乗っていて、知らないおじさんに慰められたことも(笑)
    今日のBeBe様のお話を拝見して、なんだか、すとんと納得できてしまいました。
    その方は非常に真面目な(悪く言えば、融通が効かない)方なので、その真面目さゆえに出てくる言葉なんだから、真摯に受け止めようと思ってきたのですが、ここまで自分が傷つくということはそういうことだったんですね。
    「己を磨けよ腐るな笑え」そうですよ。傷つけようとしている人の思惑通りに傷ついてあげる必要なんてないんですよね。すでに傷ついちゃった部分はせっせと磨いてさらに光らせるように、自分自身を高めていけばいいんだ!
    今回のお話を拝見して、そんな風に考えることができました。これで明日からの仕事も頑張れるような気がします。ありがとうございます。

  2. BeBe より:

    あやぽん 様
    初コメントありがとうございます。
    「己を磨けよ腐るな笑え」って色々な角度から素敵な解釈が出来る言葉
    なのですね。
    あやぽんさんの解釈は私もすとんと納得できます。
    傷ついてしまったらそこの部分を自分自身で研磨して磨き上げさらに輝きを増せばよいだけのこと。
    傷を放置してしまうとそこに汚れが溜まってしまいます。
    磨いて光らせれば結局は自分を高めることになるんですね。
    明日も{己磨けよ腐るな笑え}の精神でお互い頑張りましょうね :smile2:

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