BeBeのつぶやき

あなたが死ぬ時に付いてくるもの・・・。

aloha

昨日は、鮑 義忠道士の『趙九峰の十二水口吉凶断法 下巻』セミナーの開催日でした。

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多くの皆様のご参加、誠に有り難うございました。

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後半では、玄空飛星派水法との比較など少し難しい内容でしたが、本日早速!参加者の方から、臨時収入の報告が入りました!!

あまりにも効果が早いので、『いや・・・単純に、ご本人の努力の成果だと思います。』と返信しました。(笑)

努力あっての水法ですが・・・ふと思い返せば、私がこの水法を自宅に取り入れたのは、今年の2月だったのですが・・・あれから10ヶ月・・・。

私の仕事運というのは格段にアップしており、つい先日も臨時収入があったばかり・・・。

やはり水法って、凄いな・・・と、身を以て感じております。

生きていく上で、大切な物はやはりお金です・・・。
清く貧しく頑張っていても・・・辛い事は当たり前のように起こります。
どうせ辛い事が起こるなら、清く富んだ暮らしのほうが良いに決まっています。

とはいえ・・・死ぬ時に持っていけるものは一つだけ・・・。

遡る事、ちょうど今から4年ほど前のこの季節に、鮑先生に人生初の『歓落陰』をしていただきました。

『歓落陰』について、鮑黎明先生の著書の情報程度しか持っていなかった私は、とっても楽しい所に行けるものだと、勝手に確信しておりました・・・。

 

しかし・・・私が辿り着いたのは元辰宮などではなく・・・真っ暗で例えようのない不安と、不快感と嫌悪感の漂う場所・・・。

つまり上ではなく下の方でした。(ざんね〜んっ!!)

私の人間性がク◉(言葉が悪くテスンませんね〜)だから・・・つまりこういう所にしか行けないのだね・・・と、がっかりした感情とともに、悲しみと怒りが込み上げてきました・・・。

しかし、あれから4年・・・台湾の七玄宮で修行をする乩士として、あの日の『歓落陰』を思い返すと、なぜ私がク◉だまりのような(度々失礼!)あのような地獄絵図を経験しなくてはならなかったか・・・の意味が理解できるようになりました。

私の人間性がク◎(もういいってば・・・。)なのは、仕方ないとしてあの場所を見せて貰えた事に、今は感謝していま

あの経験で・・・私の意識には『地獄は存在する』という考えが、しっかりと植えつけられました。

実は、あたくし仏教学校出身の身ではござますが・・・地獄の存在はあまり信用しておりませんでしたの(薄笑)

あんなものは、どこぞの宗教が『悪いことをしたら地獄行きだぞ〜!!』と、信徒さんに宗教観を植え付ける時の、決め台詞だと思っていたのですよ。

天国とかも別に存在しなくて・・・死んだら無になって輪廻するくらいの感じでした。

輪廻に関しては、やっぱり仏教学校なので『あったらいいな〜』って感じで受け入れていました。

ただ・・・幼い頃から『視えてはアカンもの』が視えている私の中で、いつもいつも同じ場所に佇んでいる霊や、グロ過ぎて吐き気を催すビジュアル系の霊の存在について・・・不可解な事は沢山ありました。

現在の私は『歓落陰』を受ける側ではなく、『歓落陰』をサポートする側に回っています。

参加者が見ているビジュアルを共有し、高級神霊に逢いに行くお手伝い係さんとして、『歓落陰』で多くの皆さんが目の当たりにする、美しい光景や不思議な経験を、間接的に共有させていだだいております。

あの世界があるからこそ、神仙界が美しい・・・。

私は、地獄界という所を経験した事で、あの世の存在と神仙界の存在・・・地獄界の存在を信じるようになりました。

地獄界を見た事で学んだ事・・・。

それは『人間が死ぬ時は、その肉体も財産も何も持って行く事ができません。人間が、あの世に持って行けるものといえば、一生で積み重ねた善悪の業』のみ。

まぁ・・・この手の話をすると、『お前が低級だから、そんな低俗なものとしか同調できないのだ!』などと言う意地悪さんがいらっしゃいますが、『そんな人こそあそこを見に行くべきです。』

人の世の地獄と同じ・・・あの世の地獄も生易しいものではありません・・・。

はい!ここでもう一度、今日のつぶやき。

『人間が死ぬ時は、その肉体も財産も何も持って行く事ができません。人間が、あの世に持って行けるものといえば、一生で積み重ねた善悪の業のみ』

てへぺろ。

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