Aloha
フィリピン留学から帰国後、日本語が通じる環境に感謝しながら、溜まりに溜まった仕事を、必死の形相で片付けているのですが、片付けたと思ったら・・・顧問先からの着信音でまた新たな対応とプロジェクトが発生するという、回し車を走り続けるネズミのような”エンドレスジョブ”なあたしです。
とはいえ、どんなに忙しくても、仕事があるという環境に、感謝感謝の日々でございます。
さて、本日は久しぶりに私らしいエッジの効いた記事をお届けします。(これ本来なら公式LINEレベルのネタなんだけど・・・。)
『神が差し出す手を振り払う人・・・?。』
果たしてそんな無礼な人がいるのかな・・・?普通はそう思うよね・・・。
例えば、渓谷を走行中 、不慮の事故に遭遇し、数メートル弾き飛ばされ、車内から放り出されて、断崖絶壁に必死でぶら下がっている人がいたとします。
腕も痺れ、手に力が入らない・・・そんなギリギリの状況下で、『神』が現実的に”ロープ”という救済アイテムを差し出したなら・・・。
大抵の人・・・いや・・・ほとんどの人が、よほどの理由がない限り、そのロープを掴む事でしょう。
ロープを掴むことで、大抵の人は何とか命拾いをするものです。
ただし、そのロープが引き換えのロープだったとします。
『命を助ける事を前提に、あなたの身体の一部を差し出しなさい。』
もしそういう条件を出されたら、あなたはどうしますか?
命さえあれば何とかなる。
例え大切な物を失っても、命さえあれば充分だ・・・・。
そう心から思える人と、それを実行に移せる人というのは、神に見捨てられない人。
では、神の手を振り払う人というのはどんな人なのでしょうか・・・。
『何も差し出すつもりはないが、命綱を欲しがる人』
挑戦せず、犠牲も払わず、引き換えることもせず、ただただ・・命綱だけを欲しがる人。
そう言う人ほど、やたらと神に祈りたがる傾向があります。
一生のうち、絶対にミスができない決断を迫られる事案というものが、誰にでも一度くらいは発生します・・・。
その決断を見誤ると、命取りになる・・・・。
そんな時、神様はとても受け入れ難いような算段で、あなたに手を差し伸べることがあります。
窮地に追い込まれている時というのは、悪魔の囁きというものが、よく聴こえるものです。
楽な方、自分にとって都合が良い方・・・そんな方向性を示すのは、大抵は悪魔。
悪魔が差し出す提案は、とても魅力的です。
でも、その楽で魅力的な提案を採用した人は、取り返しのつかない後悔をする事になります。
神が差し出す手をしっかりと掴める人は、犠牲を払ってでも命を優先します。
大きな犠牲を払う代わりに、命を守ることができる人。
それが神の手を掴むことが出来る人。
神の手を掴める人というのは、神様に愛される人でもあります。
あなたはどっちの人になりたいですか?
犠牲を払わず、神の手を振り払いますか?
それとも犠牲を払って神が差し出す手を、しっかりと握り返しますか?
もし、あなたがとても困難な問題を抱えていて、正しい決断をしなければならない・・・。
そう言う状況に置かれているのであれば・・・決して神が差し出す手を振り払ってはいけません。
どれほど困難で、あなたにとって大きな犠牲を払う事になったとしても、神が差し出す手をしっかり握れる人であってください。
Mahalo




