aloha
昨夜の『悲しいお知らせ』台湾ツアー頓挫事件へのお問い合わせの対応に追われております。
『高額でも構わないので台湾に行きたいです。』と言ってくださる方や、『個人的に台湾の廟へご挨拶に行きたいので、次回渡航の際に、ご一緒させていただくわけには行きませんか?』とか、『現地集合で構いませんので、参拝だけでもご一緒したいのですが・・・。』など、バリエーションに富んだご提案をいただいておりますが、 渡航の際は私どもも廟に籠もったり、買い付けに走ったり、イベントに出演したり、コンサルのお仕事をしていたりと、実は台湾で遊んでいるわけではないので、気軽に『いいよ〜!おいでよ〜!』と言えない事情がございます。楽しみにしてくださっていた方には、本当に申し訳ない限りです・・・改めて企画内容と日程を考え直します。
さて本日は、最近とにかくお問い合わせが多い、水子さんのご供養のお話です。
これは昨日もご紹介した水子供養用のお洋服(銀紙)です。
小さいながらも、お洋服になっています。
先月1ヶ月で届いた、水子がらみのご質問をいくつかご紹介します。
(ご質問ケースその1)
*独身時代に不倫相手の上司との子供を4回堕ろしています。30歳になった頃、上司とは別れ同じ会社の人と結婚をして、現在38歳ですが、不妊治療中です。せっかく妊娠しても流産という流れを3回繰り返しています。不妊治療費の負担も大きく、最近は夫婦間で不妊治療を辞める辞めないという話で、いつも喧嘩が絶えません。私は絶対に子供を産みたいと思っていますが、旦那はお金がかかり過ぎるので、もういい加減にして欲しい、というのが本音のようです。もしかして、子供ができないのは私が堕ろした水子の祟りなのではないでしょうか?
*(ご質問ケースその2)
20代の半ばで一度子供を堕ろしてしまいました、中絶手術をした時、赤ちゃんがかなり大きくなってしまっていた事もあって、死亡届を提出しました。現在は、別の人と結婚をして2人の子供に恵まれましたが、長男は重度の障害を持っており、次男は自閉症スペクトラム障害、ADHDに知的障害を併用しています。私は産むつもりだったのですが、途中で好きな人ができた事で気が変わってしまい、交際相手(父親)に内緒で子供を堕ろし、彼とは別れました。それから水子供養などは一度もしていません。私の子供たちがこのような障害を持って生まれてきてしまったのは、もしかしてあの時の水子の祟りのようなものなのではないでしょうか?
*(ご質問ケースその3)
20代〜30代後半まで、不倫ばかりしていたので、今だに結婚できません。子供は何人か堕ろしています。私が結婚できないのは、堕ろした水子の仕業ではないのでしょうか?
この他にも、実に様々なご質問を頂戴しております。文章(内容)などを掲載するに当たって、ご本人には許可を戴いております。
まず、ここで度々出て来るキーワード、『水子の祟りについて』少しお話してみようと思います。
この世に生まれ出る事ができず、ご供養をしていない水子は、成仏出来ないまま現世を彷徨っていると言われています。
ただ、ここで誤解して欲しくないのは、『不成仏』だから祟るというような事はありません。私はこれまでに、多くの方の水子供養をお手伝いして参りましたが、誰一人として水子が祟っている方を、見た事はありません。
「水子の祟りがある」と言われているのは、1970年代ごろから、人工中絶が一般的になり、それ以降頻繁に行われるようになってしまった事で、少しでも小さな魂をこの世に導いてあげたい、殺さずに救ってあげたいという願いから生まれた『迷信』のようなものだと、私は考えています。
そもそも、まだこの世を見た事がない赤ちゃんには、「憎しみ・恨み」という感情がインストールされていません。
赤子は、純真無垢そのものですし、ほんのひと時のことであっても、お腹の中に入れてくれた母親に対し、憎しみや怒りを持つ赤ちゃんがいるのでしょうか?
ご縁あって、凄まじい倍率をかいくぐってお腹にやって来るのですから、憎いはずがありません。とはいえ、お腹に宿った命は紛れもなく一つの魂ですから、勝手な理由で処分してしまって『はい、ここまで。テヘペロ・・・。』という考えは、いかがなものでしょう?
何も分からず、いきなり暗闇の中の一筋の光を断たれてしまった水子さんの、言葉にならない想いを、成仏できないという苦しみの世界から救い出してあげる事が(供養をしてあげること)、親として我が子にしてあげられる、最大の思いやりになるのではないでしょうか?
そもそも、水子供養の起源というのは非常に曖昧です。私が仏教系の学校で学んだ知識では、太平洋戦争の前くらいまでは、水子は死んだ胎児(流産、死産)と乳児、幼児という考えが一般的だったようです。
流産・死産した子供の戒名の下に付ける位号「水子すいじ」から、水子という概念が形成されたとの話を聞いた事があります。
そして、実際に、水子供養という言葉が広がり始めたのは戦後からだったようです。これはあくまでも私見ですが、戦後の著しい経済成長の時代は、物資も不足していた事もあり人々は生きる事、働く事に重きをおいたため、自らが生きるために、中絶という選択をせざる得なかったのではないでしょうか?実際に人工中絶が増加したのは、戦後以降とのことですから・・・そこから水子の供養という認識が生まれたようです。
水子の名の由来にはもう一説あって、母親や父親の顔を見る事もなく亡くなった子供という意味で『見ず子』と呼ばれた・・・という説もあります。
赤子の死に顔すら分からない『見ず子』という呼び名は、悲しい言葉ですね。
例えどんな理由があったにせよ、小さな魂を葬った事実は消えません。 ただ、ご供養をしていないからといって、祟りなどがあるとは私は全く思いません。
なぜなら、赤ちゃんという存在がお腹の中で唯一頼れるのは、父親ではなく母親だからです。そんな頼れる大好きな母親を誰が呪うのでしょう?なぜ祟るのでしょう?
だからこそ、純真無垢な『見ず子』の為に、心からのご供養をしてあげる事は、母親や父親にとっての幸福への近道だと私は考えます。
一般的に、女性は水子供養を気にかけますが、男性があまり気にかける様を見た事がありません。他人事なのでしょうね、自分の子供なのに・・・そんな無慈悲な輩と結婚するといい事なさそうよね・・・。
水子供養ときちんと向き合える男女は、きっと顔を見る事が叶わなかった水子ちゃんのご加護があると、私は思います。
水子供養は地蔵菩薩様にお手伝いしてもらいましょう。
こちらは地蔵菩薩様の金紙です。
こちらは、水子ちゃんのお洋服セットです。
水子ちゃんのお洋服は青龍堂でお取り扱いがあります。
水子ちゃんのお腹が空かないように、ディナーセットもご一緒にいかがでしょうか。(ミルクセットがなかったもので・・・ロブスター!)
本当の幸せは、見て見ないふりを辞めたところから始まります。そして、水子供養は『昔、一度お寺でやったからいいよね〜。』ではありません。一生かけて思い出した時に何度でも供養して差し上げるもの。腕に抱かれる事が叶わなかったその子を腕に抱いたつもりで、お洋服を燃やしてあげてはいかがでしょうか。
すいません、質問になってしまうのですが。
水子供養は、身内が行っても赤ちゃんは幸せになれるのでしょうか?
関わる以上同じように思い出した時に、お寺にて供養してあげるのが宜しいのでしょうか。
綾さん
お問い合わせの回答です。
水子供養は例えば、お母さんの水子さんで綾さんのお姉さん(姉妹)に当たる人、というような場合なら、
妹にあたる綾さんが供養をして差し上げ流のはとても良い事です。
ただ、あまり親しくないお身内であればやはり、本人がすべき事だと思いますよ。