Aloha
今日は・・・イケメンシス担との打ち合わせ。
大好きな海までお出かけして、美味しいピザをたべました。
20年以上の付き合いになるシス担と、どうでもいい話で盛り上がっていたら・・・。
気づけば日が暮れた・・・・時計を見ると、19時44分・・・・九州って陽が長いよね・・・・。
さて本日は、鬼月限定記事の後編でございます。
前編を読んでない方はこちらをご覧ください。
さて・・・電話を切ったものの・・・しばらく着信が鳴り響き・・・作業に支障が出るので、申し訳ないけど着信拒否というものをかけさせて頂きました。
すると・・・固定電話での着信が・・・・見慣れない市外局番・・・出ないよ。
その代わり、ブログでお答えします。
不貞の厄でよく耳にするのが、お子さんの原因不明の発熱・・・。
これは、祟り物件(霊障物件)とかに住んでる方にも、よくあるケースです。
”霊界豆知識”
不埒なことに心当たりがある方は・・・子供の原因不明の発熱や、立て続く体調不良にはご注意ください。
現実的に医者にかかってもなかなか症状が落ち着かないときは・・・神さまに助けて貰うしかありません。
この手の障りの時に、私がよく助けを乞うのが観音菩薩さま・・・。
過去に受けたこの手の案件の類では・・・観音菩薩さまが、子供の命を助けて下さいました。
どうしても医学で解決しないときは、高額な霊能者や占い師に頼るのではなく、信仰に委ねるというのも、一つの手です。
「善因楽果・悪因苦果」、善いことをすれば楽しい結果がくる。
悪ことをすれば苦しみが来る。
それが「因果応報」という言葉ですが、最近はこの因果応報という言葉も、随分軽んじられるようになって来ました。
多くの人は、『他人にやった事が自分に返ってくるはずがない!』と、信じて疑わないし、あの人は結構悪どいことしてるくせに、商売はめちゃくちゃ繁盛している。
あの人は悪いことばかりしているにも関わらず、病気ひとつせずとっても健康だよね・・・と・・・因果応報を否定なさいます。
否定はご自由にすればいい、ご本人の勝手ですけれどもね・・・そういう方向でものを考えている人は、いつまでたっても苦悩の世界から出ることはできないのだよ。(お前がいうか・・・?笑)
これを「自縄自縛」(じじょうじばく)と言いますが・・・・。
自業自得は自分の蒔いた種は自分で取るということ。
自縄自縛は自分が結った縄で、自分の身をくくって身動きができなくなる、という意味です。
因果応報という言葉を信じて実行する人と、信じない人とでは人生の暮らし方が大きく異なります。
因果応報を信ずる人があるならば、その人は自業自得の恐ろしさを知るものであり、地獄の恐ろしさを知るものですから、その人には悪いことはしないという『善の心』が起こります。
これが『菩提心』と言われるもの。
自らで行なったことの報いは、自分自身が受ける、という因果応報を確信しているから、それを知るものは悪いことはできません。
ところが・・・善につこう、悪を捨てて清く生きよう・・・そう思いながらも、実際には悪いことをやる人がいます。
善の心を持っているふりをしながら、それを貫くことができない心の弱い人。
善を行い、悪を捨てようと思ってはみるものの、それができないという、苦悩。
では、これをどうするか・・・・そこに現れるのが如来であり、仏の教えです。
これを一言で「信心」と言います。
禅なら「悟り」。
難しい話になるので、話をまとめますとね・・・。(まとめるの早いな・・・。)
悟りを開くのは簡単な話ではないけれど・・・仏の教えを無視すると、本当の心の平安は訪れないんだよ、というお話。
人生の節目には、神仏からの呼びかけのサインがあるものです。
それは『気づき』という形で、日常生活の中に潜んでいます。
自らが取ってきた行動は、善なのか悪なのか?
善と思うなら貫けばいいし。
悪と思うなら、悔い改める必要があります。
〇〇さんへの私信
今ならギリギリ間に合うかもしれませんよ。
お子さんの片脚・・・全部失わずに済めばいいですね。
こんにちは!
今回のお話ビビさんにとっては災難だったと思いますが
とても興味深く拝見させて頂きました。(^^)
子どもさんそれぞれに厄が出たようですが
その反省のなさだと次は旦那さんにも出そうですね。
しかし何でもかんでも他責の人なんですね。
次はお子さんの病院を訴えそう。
名無しさま
ええ・・・今回の事は想定外というか・・・普通は考えつかないだろうという・・・。
非常識という領域展開でございましたので・・・。
この方への対応については、少々悩んだところです・・・。
私見ですが、脳の癖って(つまり思考の癖)あると思うのですが、子供は可愛い、大事と言いながら・・・結局色恋を捨てられない女性って・・・。
どれほど追い込まれても、結局は自分が優先なんですよ・・・。
色恋にだらしない女性の特色としては、名無しさんのおっしゃる通り『なんでも他責』なんです。
そういう親の元に生まれた子供って本当に気の毒。
人間は決して平等ではないし・・・人生も平等ではないし・・・。
そんな不平等な世界に生まれたものとして、少なからず生きていくだけならなんとかなる日本に生まれた事を、私は幸運だったと最近つくづく思います。