Aloha
先日・・・うきわちゃんの家来に、あまりにも酷い事を言われたので、ショックでお昼に食べたものを全部リバースした・・・。
これに耐えれば、いつかいい事があるのだろうか・・・。
今もしアタシの利き腕から数センチの所にチャーンソーがあったとしたら、間違いなく振り回したであろう・・・・。
そんな事を思いながら、トボトボと近所のモールにお出かけしました。
風水クラスの生徒さんから、プレゼントしてもらった1万円分のスヌーピーのスタバカードがあるから・・・今日もスタバでココアが飲める。(ありがとうMちゃん。)
ココアを飲むと元気になれるの。

ココアは身体に良いんだよ。
ココアはカラダとココロを温める、賢者の飲み物なんだ。(
スタバのカップが、クリスマス仕様になったのがすごく嬉しい。
ちなみに・・・ヘドウィッグのコーヒースリーブ欲しさに、タリーズの”ミンスパイミルクティー”を購入したけど・・・。
ちょっと苦手なフレーバーだったので、途中で断念してしまった。
余談だけど、白いフクロウって”由紀さおり”さんに似てると思うの私だけかな・・・。
さて本日は、『謙虚も過ぎれば傲慢』という言葉について、私なりの見解を語ってみようと思います。
謙虚な姿勢って大事よね・・・。
それは間違いないと思うのですが・・・この『謙虚』という姿勢も、度が過ぎると傲慢に変わります。
仏教には、「卑下慢(ひげまん)」という言葉があるのを、ご存知でしょうか。
相手に対して「私のようなものが、そのような大それた事を申し上げるなんて、愚の骨頂でございます。とか、私なんて全然大したことございませんっ!!!」みたいに、やったら謙虚な姿勢を装いながらも、その実心の中では「私ははこれほどまでに相手を立ててあげて、謙虚に振舞う事ができる、優しい人間よ。とか、自らを必要以上に卑下する事で、むしろ私はとっても優れた人格の持ち主なのだよね。」みたいに・・・慢心する心の状態のことを言います。(ざっくりと言うとこんな感じね。)
当然自尊心も大切なので、自己を適正に評価する事は必要ですが。
それが行きすぎて、自己評価を上げたいと言う下心付きの謙虚さになってしまうと、相手を尊重する気持ちから逸脱してしまい、ただの傲慢な人って括りになるから御用心。
例えば、コミュニティーにおける集団行動の中では、時にちょっとした言葉のやり取りなんかが地雷になったりするもんだ。
その地雷を踏んでしまった時、謝ってもなかなか収まりがつかなくなってしまう事もあったりする。
第三者が緩衝材になることで、この摩擦を解決する事が可能なわけだが、時に小さな火種がとんでもない大火事になる事もなきにしもあらず。
第三者が仲裁に入り、双方話し合ってこれで解決ねっ!!
と言うところまでせっかく持ち込んだのに・・・。
『いえ・・・やはり私のような無価値な人間が、聡明な皆さんと一緒の時間を共有させていただくことは、やはりあってはいけない事だと思います。』とか・・・よう分からん事言い出す奴いるよね・・・。
自分で喧嘩ふっかけといて、間に人が入ってせっかく火消しをしてくれたのに、素直に礼が言えず、今度は自分を卑下する事で、相手を攻撃し始める傲慢な奴。
そういう輩を『卑下慢』と言います。
自分のことを卑下するように見せかけて、実はアタイはお前らなんかより、よっぽど優れた人間なんだよ。
と・・・小馬鹿にしているわけだ・・・。
日本人の特徴として、相手が自分を評価してくれた時なんかに、「いいえ、そんな、とんでも無いことでございます。」などと否定の言葉で返すケースがありますよね。
もっと具体的に言うなら、『君可愛いね〜♪』と言われたら、『いいえ、私なんか全然可愛くないし、足も太いし、陰キャなんで可愛いとかそういうのと、対極の人間です。』みたいに必要以上に、褒め言葉に対し否定の言語をぶっ込んでくる人。
しかし・・・これは見方を変えると「相手の気持ちや考えの否定」でもあるわけですよ。
あなたにとっては、謙虚のつもりでも・・・あまりにも意地になってせっかくの賛辞や好意を否定しすぎると、かえって相手の気分を害してしまうことがあります。
相手の意志や気持ちを尊重するという所から離脱してしまい、自分のやり方・考え方を押し通す自分優先の慢心になりかねないわけです。
素直に「ありがとうございます・感謝します。」と、相手からの配慮を有難く頂戴する気配りも大事です。
自分の評価を、必要以上に下げてしまう癖がある人は御用心です。
本人は謙虚な姿勢なつもりかもしれませんが、受け取り方によってはその謙虚な態度が、『ただの傲慢な人』という括りにされてしまっているかもしれません。
評価を上げたいがための謙虚な姿勢が、時に逆にただの傲慢な人という認定を受ける可能性があると言うことを、心に留めておきましょう。
mahalo




