BeBeのつぶやき

祈りごとを通すには、気安い神様を選ぶべし。

盆が明けても盆じゅ〜る♬

本日も、夜のジョギングを終えてからの自由時間。運動すると心が軽くなりますね!

長距離走を得意とする姉の彩とは真逆で、短距離をいかに早く走るか・・・速ければ運動会で人気者になれる・・・たったそれだけの理由で、短距離走では向かう所敵なしのあたくしでしたが、寄る年波には敵わない・・・さっき白黒模様の仔猫に、軽く100メートル離されました・・。

この季節になると、子供の頃の夏休みを思い出します。

小学校4年生の時、宮崎県の小林市というところに住んでいた母の妹の家で、従兄弟とともに、夏休みを過ごすのが私の楽しみでした。

亡くなった祖母(母方)は教師でしたから、小学生の私に勉強を教えてくれるのですが、小学校3〜4年なのに、すでに中学校レベルのドリルをやらせるというKYな人でした。

従兄弟達は皆、ぶったまげるほどの高IQを自慢にしていたので、お勉強センスに今ひとつ、エクセレント感の無いあたくしは、足が速くスポーツが万能である事だけが、唯一の戦術・・・。

お勉強では、従兄弟達には敵いませんでした。

祖母にも小馬鹿にされるあたくしを、可愛がってくれたのは叔父にあたる外山監督でした。

子供の頃の私は、叔父の事を外山先生と呼んでいて、夏の滞在中毎日6時に起こされては、小林高校のグランドを走りタイムを取って貰い、スタートのフォームや、中距離を走る為の足のギアの切り替え方など、真剣にレクチャーしてもらったものです。

今思えば、『脱げちゃいました〜!!』で、一躍脚光を浴びた、マラソンの『谷口浩美選手』の生みの親でもある、外山監督に走りを教えてもらっていたのだねと・・・・ちょっと驚きです・・・贅沢な時間だったなぁ。

亡くなった叔父の外山監督から、お前は、短距離よりも中距離を走れば、『世に出られるよ・・・もう少し大きくなったら、叔父ちゃんが鍛えてあげる。』

そう言われて、本気で陸上の世界に行く気になっていたのですが、中学に上がると同時にモデルのお仕事にスカウトされたので、モテなさそうな陸上よりも、即金になるモデルだよね・・・と、あっという間に心変わり。

時々、思うのですが私が本気で外山先生の元で走りを学んでいたら、オリンピックに行けたのだろうか?(それは無いな・・・まずあたくし、足が短すぎてマラソンルックが似合わないわ・・・おヒップもデカイし・・・頭もでかいしな。)

仕事で、外山監督のお葬儀には出られなかったけど、大好きな叔父ちゃんだったなぁ・・。

お葬儀といえば、1980〜1990年くらいまでの台湾のお葬儀はお祭りだったということをご存知ですか?

還暦60歳を過ぎてからの死は、よくぞ還暦を乗り切った!おめでとう〜!!という意味で、お葬儀がとても華やかになるそうです。

七十歳を過ぎての葬儀だと、更に大往生!よくぞ生き抜いてくれました!!と、ビキニ姿のお姉ちゃんまで登場する乱痴気騒ぎ。

最近では、車の荷台にポールが設置されていて、ポールダンサーが車の上で踊りながらの大行列、ドラは鳴り響くわ、交通整理は出るわでとても賑やかなお葬儀です。

台北市内では、交通渋滞もあるので最近はあまり見なくなりましたが、田舎の方に行くと、お金持ちのお葬儀は未だにお祭り騒ぎのところもあるそうです。

ジメッとした日本のお葬儀と違って、私には台湾式の方が性に合っています。

葬儀では、亡くなった方に少し硬めの紙で作られた、電化製品、スーツや車、家具やお家まで捧げるのです。これは、死後も現世と同じ生活水準が、あの世で出来るようにという考え方からきています。

金紙屋さんに行くと、こういうものが沢山売られていて、不思議な感覚を覚えます。

また道教では、紙銭や銀紙を専用の竈で焼くのですが、これはあの世でお金に不自由しないように・・・という発想です。

こうした紙銭のなかには『冥府銀行』発行と書かれた、子供銀行風のおもちゃの紙銭もあります。

道教のこういうお茶目なところが私は大好きです。

人間の死というものを終わりではなく、生の延長線として受け入れ、生者の見えざる世界で、ちゃんと死者は生き続けているという思考がなんだかとても、暖かく嬉しく感じるのです。

台湾では、道教・仏教・儒教がトップ宗教になっていますが、中でも当たり前のように皆に愛される観音菩薩さま。

通常日本人の感覚では、観音菩薩は仏教の仏である。というのが、一般的かと思います。

仏教といえば観音様・・・日本ではこれが当たり前。教会に観音様が鎮座していたら、ちょっと引く・・・。

ところが、台湾の道教の廟には、観音菩薩が道教の神として、当たり前にお祀りりされています。

私の所属の「三峽九鳳山無極七玄宮』でも、この通り”不動のセンター九天玄女娘娘”の向かって右隣に、観音様はいらっしゃいます。

unnamed-26

 

 

 

 

 

 

 

仏教の観音様なのに〜!なんで道教?

これ、日本の宗教観だと思うのですが、『仏教なら絶対的にその宗派でなくてはいけません!!お墓仕舞いしたいなら金払えこら〜!』的な・・・囲い込み宗教思想。

私嫌いよ・・・この洗脳宗教のノリ。(ク◯ッタレだわ・・・汚い言葉でゴメンあそばせ。)

台湾の人々には、これが道教の神様で、こっちは仏教の仏様というような線引きをよりも、現世を生き抜く上で、己の現実的な願いに ”いかにアグレッシブに神仏が応えてくれるか!!”現世利益優先という事の方が、重要なんですよ。

道教には日本のような杓子定規なところがありません。

若干斜めに捉えると、自由奔放で小さなことにはこだわらない、大らかな心が満ち溢れておりますが・・・形はどうあれ、祈り手の現世利益を最優先させることに重きを置いています。

道教豆知識ですが、台湾の廟では”王爺”という神様の祀られている廟が多く見られるそうです。

ちなみに不動の人気を誇るのは、関帝様に並んで、観音菩薩様だそうです。

3位あたりに天上聖母(媽祖)様が位置し、人気と心願成就率のトップ4には福徳正神がいらっしゃるそうな。

とはいえ、廟の数と信者数が必ずしも一致するとは限りませんが・・・。

私、一度だけ台湾でこの王爺様にお声を掛けられ、鮑先生のお筆のお買い物途中に、知らぬ土地で勝手に歩き、この王爺のいらっしゃる小さな廟に辿り着き、御筆先をしたことがあるのですが、的確な指示をくださる神様で、鮑義忠に必要な筆を教えられ、慌てて筆屋に戻って指示通りの筆を一本鮑先生にプレゼントさせて頂いた事があります。

鮑先生の霊符の威力をご存知の方は納得かと存じますが、筆すらも、”選ばれし筆”であったりするのですよ・・・もう、理解不能な道教ワールドです。

福徳正神という神様にも、台湾ではよくお目にかかります、この神様は土地の守り神で、一般的には土地公様と呼ばれて、親しまれている神様です。

ところで、台湾の神様にはランキングがあるのをご存知でしょうか?(笑)

細かなランキング表が「三峽九鳳山無極七玄宮』にはあったのですが、写メをし忘れたので、取り急ぎネットで探したら、かなり大雑把なものを見つけました。

senya1441_img007-1

 

 

 

 

 

 

 

上の方の神様はもはや存在したのかしないのか・・・。

そこで、襲名制度の玉皇大帝を天皇の位置に例えると・・・王爺は地方の市役所の総務係くらいで・・・土地公様は経理かな・・・関帝様あたりはもはや、守衛といったところであろうか。

ちなみに私が愛してやまない『九天玄女娘娘』も、高次元過ぎて本当に存在したかしないのか?と言われている、ランキングではかなり上位に位置する神様ですが、風水の祖と言われており、『三峽九鳳山無極七玄宮』の大法師様は、風水の達人でもいらっしゃいます。

『祈りを込めるなら、トップクラスの神様に頼みたい!その方が御利益ありそう。』 庶民の皆様はついつい、このような事を思いがちでしょうが・・・。

今日の暮らし、来月の給料を案じる庶民の皆様の、庶民的(ひつこいな・・・)な祈りが、高次元過ぎる上の方の神様に届くのは、一体いつになるのだろうか・・・。

御筆先の経験から言うと、ランキングが上の方の神様ほど・・・『何を言ってるのか分からない。』これホント(笑)

であれば、比較的下の方にいらっしゃる神様あたりは、人間界に大らかで、身近に感じられる存在なのではないでしょうか?

言い換えると、庶民の庶民的な願いを気安く聞いてくれる、お優しい存在なのです。(ほんまか?)

台湾の人々は、日本人のようにあまり見栄えにはこだわらないように感じます。廟での食事は、ご飯の上におかずを乗せるだけと言うシンプルなものですし、屋台に限らず、カジュアルな価格帯の食堂は、見ためよりも味と値段で勝負と言う傾向があります。

つまり、台湾の人にとっては、神様ランキングの高い低いはあまり関係なく、気軽に悩みを打ち明けられ、優しく聞いて下さる、そして祈りごとの成就に即効性のある神様が、”話が速いよなぁ〜”と、考えるわけです。

そこで、あなたがもし『小さな祈りごとを通したい』と思うのであれば、ランキングの上の方の神様ではなく、下の方にいらっしゃる神様にお願いしてみるといかがでしょう?

道教の神様の事は、こちらにも書かれています♬神札付きだよ。

61G0nXLWqmL._SX351_BO1,204,203,200_

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。