aloha
本日は、過去ログに届いたご質問の回答をお届けします。
撮影:Rex (台湾の廟にて) 2018年3月24日撮影
コメントをくださった真澄さんに 限らず・・・思い通りにならない事ってありますよね。
人間同士って、こじれてしまうとなかなか元に戻すのは難しいものです。
私はこう思う・・・。
あの時こう言ったよね?
何でそういう言い方するの?
どうして?
そういう思い通りにならない事って・・・ちょっと離れたところから見てみると・・・凄く大した事じゃなかったりするものです。
その時は、どうしても腹が立った事でも・・・別の角度から見てみるとそうでもなかったり・・・時間が経つとくだらない事だったり・・・。
こだわってしまった自分に後悔してしまったり。
イラっとして、悪態ついて大げんかになって・・・取り返しのつかないことになって、神社に行って神様に謝っても無駄です。
謝る相手を間違っています。
自分の事ばかり『大切』にしている人は、人に大切にはしてもらえません。
魂は、傷ついて苦しんで、悲しんで・・・傷がつけばつく程、美しく輝くものだと・・・かつての師に教わったことがあります。
ダイヤモンドみたいですよね。
見栄えではなく、魂の美しい人間でありたいものです。
人の容姿や見栄えは、お金で買える時代です。
お金を払ってメスを入れれば、いくらでも別人になれますし『美しく』変身できます。
でも、容姿なんてものは玄関の扉のようなもの。
どれほど豪華な扉でも・・・開いた途端・・・ゴミ屋敷なんて吐き気しかしません。
扉はそこそこでも・・・その扉の向こうがパラダイスの方が・・・夢があっていいですよね。
セルフプロデュースの出来る女になりましょう。
誰かや何かに依存して、満足と引き換えに悲鳴をあげて生きるくらいなら、手放して何もなくなっても、心から笑える人生の方が、死に際に悔いが残りません。
死に際に悔いの残らない、神様に愛される人間でありたいものです。
(注)今回のコメント欄へのご質問の回答は特例です。
先日はお忙しい中、急ぎでお時間作って頂いての電話鑑定ありがとうございました。厳しいご指導ででしたが、最後の切り際には、とても声のトーンが変わり温かさ感じました
こんな私なので神様に嫌われてると思います(¯―¯٥)が、守護霊様はこんな私にも居ますか?
とお尋ねするのを忘れてしまいました
良かったらお時間ある時にご教授お願い致します
真澄様
こんばんは、BeBeです。
ほら・・・また悪い癖・・・。
『神様に嫌われている』とか・・・直ぐにそう言う『後ろ向き』な事を口に出してしまうところ、良くないですよ。
まず、自分が変わらなければ、人は変わりません。
向こう側を向いた枝を、無理やりこっち側に引っ張ると、当然折れてしまいます。
自分の方にばかり、無理に枝を引っ張ってしまって、大切な枝を折ってしまうと、
折れた枝を元どおりにするのは、不可能です。
ガムテでくっつける・・・接着剤・・・・そう言うわけにはねぇ・・・。
だから、強く引っ張ってはいけません。
向こう側に向いた枝が、少し時間がかかっても、こちら側を向いてくれるのを待つしかないんです。
守護霊様はいらっしゃいますよ・・・そうお伝えしましたよね?
ただ、何でもかんでも守護霊様とか神様とか・・・そう言うものの仕業にしてしまうのは、どうかと思います。
鑑定中もお伝えしましたが、追い込まれてしまうとついつい、『自分の都合の良い回答』をくれる人を求めてしまいます。
そういう都合の良い回答をくれる人の言葉は『耳障りが良く、その瞬間は前向きになれる』のでしょうが、結局次回の鑑定予約を取り付けられます。
そしてまた、お金を払って耳障りの良い話を聞く・・・。
その瞬間だけ元気になる。
しかし・・・現状は良くなるどころか悪くなるだけ、更にお金も出て行くばかり。
それってお金と時間の無駄ですよね。
人の弱った心につけ込んで、『一緒に頑張りましょう!』と、次の鑑定予約のスケジュールを入れてお金だけ出て行くのは馬鹿馬鹿しい。
世間ではそれを『詐欺』と言います。
ご存知かと思いますが、私はリピート重視の鑑定はしません。
真澄さんに嫌われても、憎まれても、最終的にこれでよかった・・・1年後、3年後・・・10年後に、笑っていられる鑑定を心がけています。
ですから、当然耳障りの良い適当な回答はしません。
科学的な根拠なども例に出します・・・スピリチュアルな事を期待しているのに、科学的な話をされるのって・・・正直がっかりしますよね・・・。
前世のご縁や、守護霊様との関係など・・・私の場合、完全否定ですものね。
そういう世界を期待していらっしゃったのだと思います。せっかく私にコンタクトをとってくださったのに、がっかりさせてしまってごめんなさい。
今の真澄さんに必要なのは、守護霊の引き寄せではなく、現実を受け入れる事と実行力です。
今は、悲しくて受け入れたくない事でしょうが、そもそも『好きという感情』って、愛する人に『憎まれ』てまで、貫き通すべき事でしょうか?
恋愛というのは、お相手あってやっと成り立ちます。
相手が嫌だと言えば、距離をおく・・・これは、当然の『思いやり』ではありませんか?
自分の思い通りにならない事にイライラするのではなく、思いやりの心があれば相手の気持ちを、察することができます。
神様は、祈りと要求ばかりする人の願いは、あまり通してはくれません。
努力して、前を向いて泣きながら鼻水を詰まらせて苦しくても、必死に上を向いて生きようとする人の、お尻をそっと支えてくれます。
神様にお願いばかりの人でなく、神様が助けてあげたくなるような、そんな女性になれると素敵だと思いませんか?
人生は自給自足と自己責任。
そして、人の気持ちは変わります。
今は変わらなくても・・・四季の移り変わりのように、少しずつ気配が変わります。
要求ばかりではなく、大切な人を思いやれる人間でありたいものです。
そして、気配が変わったら再び勝負をかける・・・これが勝利の法則です。
私のことは、どうぞ嫌ってください。
私のお伝えした通りにすれば、空に虹がかかります。
ただし・・・それは今ではなく、少し先の未来ですけど。