BeBeのつぶやき

神様に呼ばれる人の特徴。

Aloha

昨日は夕方からのお出かけだったので、お昼のうちに約1週間分のランドリーを片付けました。
以前は乾燥機頼みだった為、お洋服が痛むことが多かったのですが、先月から新たにバスルームに導入した衣類乾燥機のおかげで、乾燥機を使わずに済むようになって事で、お洋服が傷まずに乾かせるようになりました。

私はかなりの貧乏性(笑)なのですが、最近の電気代や物価の高騰で、更にこの節約魂に火がついております。
お洋服も浴室で乾かす時は、衣類乾燥専用のカバーの中に入れて、乾燥機のスイッチを入れれば60分程度で、Tシャツや薄手のお洋服が乾く事を学習し、夜間は電気をあまり付けず、薄暗い間接照明の中で暮らして電気代を浮かせてみたり・・・。

カフェを我慢して自宅で作業をしてみたり、色々と工夫しておりますが、お洗濯以外の節約はむしろパフォーマンスが下がるので、あまり良い結果が出ていないように思います・・・(笑)

さて、前回のブログ更新から少しお日にちが空いてしまいましたが・・・。
先日のブログへのお問い合わせが数件届いておりますので、本日はお問い合わせへの回答を含めて続編をお届けいたします。

神様に可愛がられたいのなら、日頃の行いが大事と言う事です。
神社参りは、ただ闇雲に数を稼ぐために、参拝すればいいってもんじゃありません。
大切なのは、日頃の行いです。
あと夢の中や、インスピレーションで『呼ばれている』神社や仏閣・国には、出向く価値があります。

前回はここでお話が終わっていましたが、今日は神さまとの良い関係を構築するお作法をご紹介したいと思います。

神様と良い関係を構築・・・そういうとちょっと難しいですよね。
簡単に言うと『神様と良い距離感でお付き合いする為の心構え』かな・・・。

一昔前に、大ブームになった御朱印帳・・・。
神社参拝が目的というよりも、パワースポットに行ってスタンプラリー的な事をする、ポイ活イベントのような認識になってしまい、一時機は国内外の有名な神社が、強欲な人間と冷やかしの人間のエネルギーで荒れ散らかしていました。

以前にもお話しした事があると思いますが、私は元旦には神社参拝は行いません。
なぜなら、元旦は多くの”にわか参拝客”で(笑)神社の神気も乱れてしまっているからです。

神気が乱れるとか、神様が居るとかいうと、小馬鹿にされることもありますが・・・。
神様は正直、いてもいなくても良いと思うんですよ(マジか・・・?笑)
大切なのは、信心の心と自己決断だと思っています。

私の知人に、1年のほとんどを日本全国津々浦々の神社参拝に、明け暮れている人がいますが・・・。
その人の目的というのは、出来るだけ沢山の神社を参ることで、金運を上げて事業や投資事業を成功させ、結婚して子供を持つことだそうです。
60歳をとうに過ぎた男性ですが、夢だけ見ればZ世代です・・・。

男性は、幾つになっても子供を作れるので、その辺りは別に否定も肯定もしませんが、彼が大きな勘違いをしているのは、『手当たり次第神社参拝をすれば、どこかの神様が願いを叶えてくれるだろう』と言う、他力本願を超えた神様依存なところです。

私も、結構いい歳になって参りましたので、それなりの人生経験を積んでおりますし、有料記事にできるほどの壮絶な体験と経験もしてきました。
人間というのは、厚かましいもので・・・心が凪の時はあまり神様に依存はしないものですが、一旦心に波風が立ち始めると、急に神様にお祈りしてみたり、神社参拝を始めてみたり、ネットで謎の開運アイテムを購入して、アイテムに効果が無いと、やたらとガタくれる未浄化霊以下の魂レベルです。

そもそも神様がいますか?と質問されても、証拠がないので(笑)いると思うよ。としか答えられませんし。
もし創造神である神が世界を作ったというのならば、『世界の中』に神が居ないのは、当たり前だと思いませんか?だって制作者なんだもんね・・・。
するってえと・・・「神はいない」という証拠もないんだよね。

何かが「存在しない」ことを証明する為には、当然すみずみまで捜さなければならんのだが、世界中の小さなゴミ箱レベルまで徹底的に探したとして、神が見つからなくても当然よね。

この理論を子供部屋に置き換えてみると・・・。
子ども部屋をすみずみまで捜して、親がみつからなくても、親が存在しないことにはならない。

ちょっとややこしいけど、「神がいる」という証拠はないけど「神がいない」という証拠もない。
神の存在の“証拠”という観点においては、居るとも居ないともなんとも言えないわけです。(笑)

そもそも人間は、神がいると思う人・神なんかいないと思う人、のどちらかです。
中にはどっちでも良いという意見もあると思いますが、一般的にはいると思う派と、いないと思う派だと、思うんですよね。

神がいると思っている人は、証拠があるからそう思っているわけではなく、証拠なんかないけれど神と言う特別な存在は高いところから、人の善悪を見てるんだ・・・そう思うわけです。

だから悪いことばかりしていると、神様に見られてしまうし、良いことばかりじゃない人生でも、神様がいると思って生きる人生はいいよね・・・ってな感じで神という存在を受け入れる・・・これが「信じる」って感情だと思うんですよ。

逆も然りで、神はいないと思っている人は、証拠があるからそう思っているわけではないですよね、そもそも神は居ないと言い切る人というのは、証拠がないからそう思う訳ではなくて、そもそも論『神はいないと”信じている”』から神は居ないと言い切る訳です。

これは証拠の有無ではなく、「自分でどう決めるか」の問題です。

この世には2種類の人が存在します。
① 神様はいると思って生きている人
② 神様なんかいないと思って、生きている人。

どちらが良いとか悪いとか、優れているとか劣っているとかそういことではなく、自分の生き方や思想をそれと「決めた」ことに対して、きちんと責任をもって生きるならそれはそれで、どっちも立派ですよね。

この他に3番目も、ないわけではありません・・・神がいるのかいないのか、否定も肯定もしないまま生きる。

つまり、「神様は、いますか」という質問に、居るとも居ないとも答えずして、人生をやりくりしていく生き方。
それはそれで構いませんが・・・①や②と違って、結局のところ右なのかい?左なのかい?どっちなのかい?と、はっきりしない訳ですよねね。

絶対とは言いませんが、そういうどっちつかずの人というのは、人生の大事な問題に直面したときにどう決断するか、とっても困ってしまうかもしれませんし、開運力というところに限定すると、信心深い人よりも若干耐久力や踏ん張りが弱くなるかもしれません。

ここで私が言いたいことは、神が居るとか居ないとかそういうことよりも、自分でどう考えるか「決める」ことが出来る事が大事だよ。と言いたい訳です。

長くなりましたが、本日のまとめです。
神様は居ても居なくてもいいけど、自己決断するということが大事だと思います。
(生きてる人を教祖様(メシア)とか言っちゃったり、もう死んだのに復活するとか言って、信徒さんからお金巻き上げてるような、ハッピーサ○○ンス的な新興宗教とかは、ちょっと無しだと思うけど。)

夢の中に、たまに神社とか老婆とが爺さんとか(笑)が現れて、懐かしいような・・・どこかで見たことあるような・・・そんな景色や風景、神社などを見せられる事が稀にあります。

これは、神を信じている人が必ず見るとは限りませんし、信じていない人が見る可能性もゼロではない訳ですが(笑)
そういう、見えない世界からの『召喚状』が届いた時は、可能ならその夢の場所を探し当ててみることを、お勧めします。

これから運気が上昇する人や、大きな転機を迎える人、その他にも色々な要因が考えられますが、それは神様からご招待を受けているという、暗示のようなものです。

かといって、その場を訪れたからといって、急に嬉しい事があるとか、金運が爆上がりするとか、願いごとが叶うとか・・・期待はしない方がいいです。

そこに絶対的なベネフィットがあるとは言いませんが、少なくとも呼ばれるにはそれなりの理由があるという事です。
そこに行くことで、もしかしたら数年後に起こる交通事故死から事前に守ってもらえるのかもしれませんし、身体の中でまだ覚醒していない病気の発病を、数年レベルで遅らせてもらえるかもしれません・・・。

自分の期待したベネフィットが得られる保証は何もありませんが、見えないところで助けて貰っているのかもしれません。

その逆も然りですが、神社や神様に導かれる時は、期待せず、身構えず、素直な気持ちで召喚される事をお勧めします(笑)

お願い事をする時は全力です(笑)

mahalo

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  1. ゆらん より:

    物心がついた頃から、実家に某桃の神様(怒ると超〜怖い)の祭壇があったアタクシ。
    周りの大人や母親から「これは神様よ。ちゃんとパイパイしてね」と言われて育ちました。
    未だにアタクシの中での神様というのは、あの額縁に入った茶色の紙に黒の筆で描かれたあの女神様なのよ。だからある程度…人生がスパルタでも耐えられる気がする…(ほんまか?w)日本では未だにお見かけしたことがないけれど、台湾に行けば大体いらっしゃるあの怖くとも慈悲深い神様です〜。

    それより、神様はいないと決め込んでいる人、いると決め込んでいる人、そのどちらでもない人。
    そのどちらでもない人の中には「都合よく神様を存在させたり消したりする」人もいるわよね(笑)

    必死に拝んどいて、神様がフワッと手助けしてくれたかもしれないのに成功を「自分の手柄」にする。
    人生が苦しいとき「神様なんて居ないんだ」とガタくれる…。
    例えば泥沼の不倫でも、上手くいっている時は神様は見てるに違いないわ!だってアタシたち運命だもの♪って勝手に信じといて、いざ裁判沙汰になったらやっぱり神様なんて居ない…とか言う(笑)

    でも、人生に何が起ころうとも、神様のお陰でこの程度で済んでいるのかもしれない…と思うと、アタクシは途端にありがたくなる単純な生き物なので、よし!どんな手を使ってでもなんとか乗り切ってみせるでぇ〜!って謎に根性が出ちゃいます。

    そう考えると、ある程度の宗教観を持って生きていると人生が色々と楽になる気がします。結局ブレない何かがある人はここぞという時に強いってことよね〜。

  2. Be-Be より:

    ゆらんちゃん

    私のブログの意図をよく読み取ったよね・・・。
    つまりそういう事なのよ。

    神様に祈る時は必死に祈っておいて、思い通りにならないとガタくれる。
    そもそもこの世には、この世のお作法がある訳だから、何でもかんでも神がかるはずがないわけよ。

    信心深い人が、やむ得ない事情で他人に大怪我を負わせたとする、例えそこに正義があったとしても、日本の司法はその人に有罪判決を与えるよね。
    怪我をした方の人が、極悪非道の悪人であっても・・・怪我を負わせた方が悪いってなるよね。
    日本の司法だと、当然怪我をさせた方に有罪判決が出るわけよ。

    そうすると・・・何で?あたしこんなに神様信じてるのに、何で有罪になったの?神様は何で正しい私を助けてくれないの?
    って思うんだけど、日本の司法がそう定めてるから、便宜上有罪になるわけよ。

    神様を信じていようと信じていまいと、人生には思わぬハプニングが起こるわけで。
    神様を信じているからと言って、必ずしも自分の思い通りの結果を呼び寄せる事ができるとは限らない。

    大切なのは、思い通りにいかない時も、メンタル拗らせないで前向いて顔張る(頑張る)姿勢。
    思い通りにいかないのは、神様のせいじゃない。

    ゆらんちゃんがいう通り、特定の宗教に拘らず何かしらの信仰対象や宗教観を持って生きている人は、何だかんだで泥水飲んで、地べたを這いずり回る経験をしたとしても、
    最後まで立っていられる人だと思うんだよね。

    人生が苦しい時、『神は居ない』とガタくれる・・・。
    気持ちは痛いほど分かるけど、そんなブレブレな信仰の奴を誰が助けたいと思うのだろうか?
    神は愚か・・・誰も助けちゃくれないと思う。

    信仰にはお金は掛からない。(某教団みたいに、やたらとお金がかかる宗教はインチキよ。)
    その代わり、貫く姿勢も大事よね。

    でもさ・・・神様って忘れた頃に、雷落としてくれたりするよね(笑)
    悪いことばっかしてる人には、必ずいつかは報いがあるんだよ。

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