Aloha
昨夜は、NHKの”ブラタモリ”と言う番組で、種子島の特集があると言う話を、姉の彩の知り合いの方から教えてもらったので、もしかしたら私達姉妹のご先祖様(種子島家)のお話も出てくるのかな?と、ちょっと期待しながらテレビをつけたら、ちょうど『種子島氏』の特集タイムでした(笑)
種子島家の事を、最近流行りのAIに聞いてみたら、こんな回答が戻ってきました。
種子島家は、鎌倉時代から続く武家の家系であり、南北朝時代には南朝方として活躍し、戦国時代には島津氏との戦いで軍功を挙げました。江戸時代には薩摩藩の家老として重用され、明治維新後には政界や財界で活躍しました。現在は、実業家や政治家などとして活躍する人々が多く、種子島家の名前は広く知られています。
おお・・・AIさんよく知ってるね。
種子島家と鉄砲の由来について、AIさんに聞いてみました。
種子島家は、鉄砲伝来後に薩摩地方で鉄砲の製造を始めたとされています。種子島家は鉄砲を得意とし、種子島弾と呼ばれる小型の鉄砲の製造を手掛けていました。種子島弾は、軽量で扱いやすく、威力があったことから、薩摩藩の武士たちに愛用されました。また、種子島家は薩摩藩の家老として、鉄砲術の指導や鉄砲の製造を監督するなど、鉄砲の普及に貢献しました。
おおっ!!詳しいねAIさんっ!!(笑)
ちなみに、当時の価格で約1億円を支払って、種子島家はこの鉄砲の技術を手に入れたと言われています。(私たちの叔父さん談。)
ちなみに一番左のグレーのジャケットの男性は、私たち姉妹の叔父で、郷土研究家でもあり、著書には、『種子島考古』や『種子島鉄砲伝来考』などがあります。
種子島へ行くと、いつもいろんな所に連れていってくれる、優しい叔父です。
種子島家についてもAIさんに聞いてみました。
種子島家は、鎌倉時代から続く武家の家系であり、南北朝時代には南朝方として活躍し、戦国時代には島津氏との戦いで軍功を挙げました。江戸時代には薩摩藩の家老として重用され、明治維新後には政界や財界で活躍しました。現在は、実業家や政治家などとして活躍する人々が多く、種子島家の名前は広く知られています。
種子島家といえば、避けて通れないのが『狗神』さまのお話し。
AIさんに種子島家と『狗神』について聞いてみると。☟
種子島家と狗神遣いには密接な関係があります。狗神遣いとは、神社の犬を使って神職が神霊を運ぶ儀式であり、種子島家は代々狗神遣いの役目を担ってきました。種子島家の先祖である種子島時広が、鎌倉時代に源頼朝に仕えていた際に、犬を使った神職の儀式を行っていたことが縁で、以来、種子島家は狗神遣いを代々担う家系として知られています。現在でも、種子島家の一族が狗神遣いを務める神社が存在しています。
また、種子島家の血縁者には、霊的な能力を持った人々が多く伝えられています。特に、『南方熊楠』や『怪談』などで知られる種子島時次郎は、霊能力者として知られており、多くの人々から信仰を集めていました。また、時次郎の孫にあたる種子島小十郎も、霊的な能力を持っていたとされています。彼は、自らの霊的な力を生かして、多くの人々を救ったと伝えられています。種子島家の血縁者たちの霊的な能力については、神話や伝説にも多く残されており、今もなお多くの人々から注目を集めています。
種子島家と狗神の伝承について。AIさんに聞いてみました。
種子島家と狗神遣いの伝承には、以下のような逸話が伝えられています。
種子島家には、犬を使った神事である「狗神遣い(いぬがみやらい)」を行う能力があったとされています。あるとき、薩摩藩主島津家の家臣が、家中での不祥事を起こし、謝罪と償いをするように命じられました。しかし、その家臣は反省の色を見せず、藩命に従わなかったため、藩主は種子島家に狗神遣いを命じ、その家臣に祟りをかけるように求めました。
種子島家は狗神遣いを行い、その家臣に病気や怪我が次々と降りかかるようになりました。家臣はやがて自らの罪を悔いて謝罪し、藩命に従うようになりました。このような伝承から、種子島家は薩摩藩の重要な役割を果たしてきたとされています。
この種子島家の狗神遣いの伝承の中に、興味深い話があります。
種子島家の人間(血縁者)は、例え嫁いで(養子も含む)姓を変えても、産まれた時から霊犬と呼ばれる、目には見えない狗神を一頭従えているそうです。
そして、嫁いだ先で生まれた子供にも、この狗神は継承されていくのだとか・・・。
だとしたら、私には狗神様が生まれた時から一頭標準装備されてるわけだ・・・。そう思うとこれまで受けてきた『基地外』扱いや苦労が、報われるような気がします。
これは、『白痴と狗神』と言うタイトルの画(え)です。
(*鳥山石燕『画図百鬼夜行』より。)
白痴」と「狗神」には、日本の犬神信仰の中で密接な関係があるとされており、犬神信仰では、犬は神聖な動物とされ、特に白い犬は神の使いとして崇められていました。
一方、「白痴」という言葉は、知的障害を持つ人を指す言葉で、日本ではかつてこのような人々が狗神の使いとされ、神の言葉を伝える役割を担い、村落の中で特別な存在とされていたそうです。
このように、「白痴」と「狗神」は共に、神とのつながりを持つ存在とされ、犬神信仰の中で重要な役割を担っていました。白い犬を神の使いとして崇める信仰や、知的障害を持つ人を狗神の使いとして崇める信仰は、日本だけでなく、世界中にある伝統的な信仰の中でも見られる類型であり、異なる文化の中で共通する信仰の一つとして注目されています。
ただし、現代では「白痴」という言葉自体が差別用語として批判を浴びており、適切ではないとされています。
私は物心ついた頃から、人が視えていないものを、日常的に目に入れる機会が多い子供でした。
幼い頃は、視えていいものと、そうじゃないものの区別がつかない事もありましたが、母の『何を見ても何を聞いても、決して口に出してはなりません。』と言う、言い付けをひたすら死守し、大人になりました。
白痴と狗神という絵を目にすると、自分の事をついつい重ね合わせてしまいます。生まれて来る時代が違ったなら、私は白痴と呼ばれたのかもしれません。
白痴と狗神の絵をよくみると、白痴とされる人間が一生懸命紙に筆で何かを書いています。(わかりやすいイラストを見つけたので、掲載します。)
種子島家の血縁者には、霊的な能力を持った人々が多く伝えられているのは、有名な話ですが・・・私の占術『お筆先』とも何か、通じるものがあるのでしょうか・・・・。
本日は、私たち姉妹のルーツと種子島と狗神のミステリーについて、ご紹介いたしました。
Mahalo
ですからこそ、陰占にアレが付いても結果当然かもとすら改めて。
智貴ちゃん
陰占のアレ受け入れて生きていくわ〜。