Aloha
今日も暑い博多です・・・・。
最近の楽しみは、夕暮れ時のお散歩・・・・。
西日本は陽が長いので、19時を多少過ぎてもまだ明るいんです。
姉の彩と一緒に、実家から数キロ歩いて会いに行くのが日課です。
新宿では徒歩圏でお目にかかれるのは、TOHOシネマのゴジラくらいしかいないから・・・。
歩いて本物のお馬さんを見に行ける環境って本当に幸せ・・・。

さて、本日は過去のブログ(人を陥れる時の心得)へ投稿されたご質問への、回答をお届けしようと思います。
このブログのオチは(最初からオチをいうんかいっ!!)
人を陥れる時は『腕の1本や2本を覚悟して陥れなければならない。』どんなに優しそうに見える人でも、その人の『守護霊が武闘派』もしくは『反グレ』とかだったら、当然容赦ない返しが来るよ!って言う話だったのですが・・・・。
みおすけさんからのご質問
学びと思い,いつもブログを見させてもらっています.
素朴な疑問なのですが,相手を陥れようとする輩がいるとき,その輩の守護霊は止めないのでしょうか?
また,他人を陥れた輩が,相手の守護霊に逆襲される場合,輩の守護霊は黙ってみているのでしょうか?
輩の守護霊は“痛い思いも魂の経験”だと思い,黙って見ているのでしょうか?
お時間のあるときに,守護霊さんの考えを教えていただければと思います.
BeBeさんの低運期が早く過ぎ去りますように.
その後の幸運期が楽しみですね.
みおすけさんご質問ありがとうございます。
このご質問、簡単に片付く話ではなかったので、ブログの方から回答をお届け致します、(ご本人様了承済みです。)
さて・・・相手を陥れようとする輩がいる時に、その人の守護霊は一体どうするのか?また、陥れられた相手の守護霊との関係性というのは、どんな感じになるのか? 本日は守護霊と指導霊の違いも踏まえてマニアックにご説明いたします(笑)
まず、守護霊と指導霊は、どちらも私たちをサポートしてくれる霊的な存在という位置付けではありますが、呼び名が違うように、役割にも明確な違いがあるといわれています。
『守護霊』
その人自身の魂の成長を、産まれてから死ぬ日まで、長期的な視点で見守り、サポートする存在で、私たちの人生全体を通してそばで見守り、大きな方向性や魂の学びを促してくれる存在。
稀に、八字に存在しないような危機的な状況や、生命の危険がある場合には、直接的な介入をするケースもあるようですが、基本的には、本人の自由意志や経験を尊重するスタンスです。
守護霊様はどちらかというと、「魂の経験」を重んじる側面が強いと言えます。
『指導霊』
特定の時期や特定の分野において、その人が学ぶべきこと、達成すべき目標に対して専門的なアドバイスやインスピレーションを与える存在と言われています。
例えば、仕事、学業、芸術、スポーツなど、特定のスキルや知識の習得を助けてくれたり、過ちや偏った意識への”気づき”を与えてくれる存在で、生涯を通じて入れ替わることもあれば、固定している場合もあるようです。
守護霊が「総合的な人生の監督」だとすれば、指導霊は「特定の分野のコーチ」のようなイメージだと考えてください。
さて、ここからが本題なのですが、相手を陥れようとする「輩」と、その守護霊・指導霊の関係について私なりの見解をお届けしようと思います。
そもそも・・・ 輩の守護霊はなぜ止めないのか?についてですが・・・。
「輩」の守護霊が、その人が他人を陥れる行為を直接的に止めないのは、いくつかの理由が考えられるわけですよ。
守護霊は、私たち人間の自由意志を極めて尊重すると言われていますから、たとえそれがネガティブな行為であろうと、本人が選択した行動であれば、基本的に直接的な力で物理的に止めることはありません。(つまりスルースキルがすごく高いってことね・・・。)
人生は魂の学びの場であり、良いことも悪いことも含めて、様々な経験を通じて魂が成長していくと考えるからこそ、可愛い子には旅をさせろの精神で、本人の意思をただただ尊重します。(よく言えば見守っているだけど、単に見透かされてるだけなんだと思う・・・。)
みおすけさんのご指摘にあったように、「輩」自身の魂が、その行為を通じて「痛み」や「結果」を経験し、そこから学ぶことを守護霊が意図している可能性はあります。(つまり・・・“痛い思いも辛い思いも魂の経験”ってことね。)
例えるなら、人を陥れることで、一瞬は目的を達成したり、上位に立ったとしても、最終的に自分自身が孤独になったり、信頼を失ったりする経験を通じて、『本当に大切なものに気づきやがれ!!』といった、学びです。
ちなみに・・・守護霊は、直接制御するような事はなくても、その人に”気づき”を与えるためのサインを送っている場合があります。
単純に、良心の呵責を感じさせたり、計画がなぜかうまくいかなくなったり、警告的な出来事が起こして、本人にもう一度よく考えろよ・・・。と気づきのサインを送ってきます。
でも、大抵の人は、自分のことばっかり考えてるから、気づきのサインはスルーしちゃうよね。
スピリチュアルなサインを受け取るには、結局その人の意識レベルにかかってるってことです。
ご質問には「相手の守護霊に逆襲される」という表現が出てきましたが(笑)、霊的な存在が直接的に「逆襲」として物理的な危害を加えることは、通常はありません。
しかし、以下のような形で「結果」が現れることは考えられます。
① カルマの法則
宇宙には「出したものが返ってくる」というカルマの法則が働いていると考えられています。簡単に言うと、天(空)に向かって唾を吐いたら、自分の顔に返ってくるよね的な感じ・・・。
人を傷つけたり、陥れたりする行為は、必ず何らかの形で自分に返ってきます。これは、相手の守護霊が「逆襲」するのではなく、宇宙の普遍的な法則として作用するものだからです。
②集合的無意識やエネルギーの影響
相手を陥れようとするネガティブなエネルギーは、その本人に何らかの影響を及ぼします。精神的な不安、肉体的な不調、人間関係の悪化など、金銭的な問題、仕事関係のトラブル・・・様々な形でその人の人生に影を落とすことがあります。
これは、相手の守護霊が「見守り、促す」結果として、その人の心身や周囲のエネルギー場(磁場)に、影響を与える可能性があるからです。
③学びの機会として:
「輩」の守護霊は、このようなカルマの作用やネガティブな影響が本人に現れる時も、大抵は「魂の学び」の機会として、静観します。
我が守護するこの者は、この度のらうより何まねび何を得るや、
また犯しし咎に気付き、更生や謝罪のついでを得らるや。
結局のところ、「この経験から何を学ぶのか」「どうすれば成長できるのか」という視点で見守ってるだけなんですよ・・・。
輩の守護霊は「黙って見ている」というよりも、「本人がその行為の結果を経験し、そこから学ぶプロセスを尊重している」という言う方の方が当てはまるかな・・・。
守護霊は、私たちを無条件に愛し、成長を願う存在ですが、その愛は甘やかすだけのものではありません。時には、本人が困難な経験を通じてしか得られない学びがあると判断すれば、あえて介入せずに見守る「厳しさ」も持ち合わせています。場合によっては命を落とすことだってあるんです・・・。
守護霊という存在は、対象者の人生の試練や苦難は、魂が磨かれ、成長するための大切なステップだと捉えているので、一見ネガティブに見える出来事でも、その裏に隠された学びの機会を重視しているという事です。
さて・・・皆様いかがでしょうか?
人を陥れる時は、腕一本失う覚悟でどうぞ・・・。
守護霊様は助けてくださいませんし・・・そもそも自己責任ですから・・・。
Mahalo
早速のご解説、ありがとうございます。
やっぱり、守護霊様は「魂の成長第一」なのですね。
ところで、「腕一本ロスト」について、長年の疑問があるので、もう一つ教えていただけないでしょうか?
ドラマ「半沢直樹1」で、半沢が支店長に陥れられ、大失態(5億円をだまし取られる)の責任を押しつけられます。その後、半沢は挽回し、大失態は支店長の不正隠しであることに気づき、それを社内で告発します。その結果、支店長は途上国に左遷されるのですが、半沢は支店長に“倍返し”をしたことになります。
この場合、いずれ半沢は「腕一本?の代償」を払うことになるのでしょうか?ドラマでは出世していきますが・・・。
ドラマをご存じなければ申し訳ありません。
要は、「他人を陥れた人物の不正を告発することも、他人を傷つける行為には変わりないので、それも代償を払うものなのか?」について、ご意見をうかがえればと思います。
この場合も、どちらの守護霊様も黙ってみているのでしょうね・・・。
横入り失礼します!
みおすけさん、まさかの半沢直樹!(≧∇≦)
私もそれ思いました。
正義からの苦発も他人の足引っ張った事に
なるのでしょうか?
教えてくだちい。
ビビ先生!٩(^‿^)۶